2019年03月22日

とおりゃんせ

末っ子と二人で大阪の繁昌亭で落語を聞いて、その帰りに隣の大阪天満宮でお参りをして帰ります。
そのため最近は天満宮に毎月1回は行っています。
いつも人が多く、地元では「天神さん」として親しまれているようです。
私は元々「天神さま」に怖いイメージがあったのですが、最近は大阪天満宮の華やかな雰囲気に親しみがわいています。
そして、以前なぜ怖いイメージがあったのか考えました。
無実の罪で大宰府へ左遷された菅原道真の祟りを恐れた朝廷が天満宮を作った歴史がありますので、道真の祟りへの怖さかとも思ったのですが、それだけでは不十分なようです。
結論は「とおりゃんせ」のわらべうたの「天神さま」のイメージだと思います。

通りゃんせ 通りゃんせ(通りなさい、通りなさい)
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ


私はおどろおどろしいメロディーと歌詞で子供の時から勝手に「用ない者は通してくれない怖い天神さまは、うまくおびき寄せて(行きはよいよい)帰りには呪いをかける(帰りは怖い)(苦笑)」と思っていたようです。
しかし、そんなはずはないのでインターネットでいろいろと検索していると私が一番共感した歌詞の解釈がありました。
https://mag.japaaan.com/archives/87105
「七つのお祝い」は「七五三のお祝い」のことで、江戸時代などの昔は七つで大人入りしたようです。
おそらく農作業手伝いや丁稚(でっち)奉公など仕事が始まり、現代と違って困難の始まりだったのでしょうね。
なので、本当の意味は「七つになるまでは天神さまが守ってくれていたけれど、今後は大変な世の中を自分の力で生きていかないといけない」警鐘の歌だと思いました。
(おどろおどろしい曲調は励ましや教訓の歌とは思えないので、警告の歌なのでしょうね)

追伸:上記は私が一番納得した説ですが、歌詞の意味にはその他諸説いろいろあります。
posted by MCL at 08:00| Comment(0) | 院長日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月15日

芽キャベツ

妻とバイキングの食事(かんでかんで美味しいですよ)に行ったときに、私は46歳で妻は43歳と中年まっさかりの私たちはサラダを二人ともたくさん取って来ることに気づきました。
「濃いぃものはあまり食べられへん」と二人とも言いながら、それぞれが「芽キャベツのサラダ」をたくさん取って食べていました。
IMG_6737.jpg
「これ、おいしいなぁ」と言い合っていたのですが、芽キャベツとは何ぞやとの話になったのです。
妻)「キャベツの芽を間引いたやつちゃうの」
私)「え〜、ちゃうやろ〜」
という訳で、さっそくその場でスマホにてグーグル大先生に聞いて(グーグル検索して)、以下の画像が出てきて夫婦でビックリしました。
1.jpg
https://www.kagome.co.jp/vegeday/nutrition/201710/8492/
まさかこんなブドウの房のようなキャベツだったなんて。
みなさん、知ってました?
少なくともキャベツの芽を間引いたのもではありませんので、皆さんも妻のようなセリフを吐いて恥をかかないようにしてください(笑)
posted by MCL at 08:00| Comment(0) | 院長日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月08日

天智天皇の百人一首の歌の再考(後半)

なぜ天智天皇は泣いているのか?
もちろん夜露で袖が濡れて衣の着心地が悪いから泣いている訳ではありません(笑)。
仮小屋の屋根ぶき(とま)が荒い、つまりすごい粗末で仮に作った小屋を見て泣いているのです。
当時は秋に臨時の仮小屋を作って、稲を見張ったり守ったりしたようです。

仮小屋があまりにも粗末なので天智天皇は泣いていたのですが、「秋の田の仮小屋が粗末」では不十分なのです。
「秋の田の仮庵(かりほ)の」→「秋の田の仮小屋の」になりますが、不十分なのです。
IMG_6742.jpg
ここで源氏物語を読んでいて気付いた2点目が大切になります。
時折漢字で書かずにひらがなで短歌を書く場合があるのですが、その場合には2重の意味があることが多いのです。
とすると、百人一首の札を見てほしいのですが「仮庵」と書かずに「かりほ」と書いているのは2重の意味があります。
ズバリ「仮庵(かりほ)」と「刈穂(かりほ)」です。

この歌は「秋の田の刈穂」と「仮庵の庵の苫があら(み)い」との対比なので、現代語訳すると「秋の田の収穫したの稲穂の豊作の豊かさ」と「それを守る小屋の粗末さ」との対比になり、天智天皇が「国のために頑張って働いている農民が粗末な小屋で過ごしていることを物悲しく思いやった歌」なのです。

私の訳は意訳ですが
「しっかり働いて豊作の刈った稲が積み上がっているのに、それを見守る小屋が粗末で、農民のみんなは大変でよく頑張ってくれており涙が込み上げるなぁ」

収穫の秋と天智天皇の農民を思いやる祈りの歌と考えると、雰囲気としてはミレーの晩鐘の絵ような歌かもしれませんね!
1.jpg
<ウィキペディアより>

posted by MCL at 08:00| Comment(0) | 院長日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする