2021年01月07日

V.E.フランクル著「それでも人生にイエスと言う」

みなさま、明けましておめでとうございます、院長の向原です。
今月のブログ当番は私ですので、久しぶりに投稿します。
コロナでまだまだ大変ですが、出来るだけ早い今年のコロナの収束を願ってコロナに負けずに頑張りましょうね。

訪問診療をしている患者様には、がんの末期で看取りが近い方や慢性疾患のほぼ寝たきりでコントロール困難な疼痛を抱えている方など様々な方がいます。
在宅主治医として医療用麻薬などでできるだけ投薬コントロールをしたり専門病院へ紹介したりするのですが、症状コントロールがうまくいかないときや差し迫ってくる死への患者様ご本人の不安など、在宅主治医としてうまく対応できない場合があり、いつも悩んでいます。
患者様に「向原先生は元気そうだしバリバリ働いておられるので、私の気持ちがわかるわけない」と言われてしまうと、安易な声掛けなどできなくなります。
「どんな人生にも楽しみがあり意味がある」と心の底から思っているのですが、今の私程度の人間が言うと軽くなってしまいそうで心配です。

そんな私からおすすめの本があります。
フランクル著「それでも人生にイエスと言う」です。
フランクルはオーストリア国籍のユダヤ人精神科医で第二次世界大戦中にアウシュビッツなどの強制収容所に収容された経験があります。
いつ殺されるかわからない中およそ30人に1人の生存率で生き延びて、その時の強制収容所経験を冷静な視点から回顧した世界的なベストセラー本「夜と霧」を著作しました。
そのフランクルがどんな人生にも意味があり希望があると精神科医として冷静に客観的に述べている本が「それでも人生にイエスと言う」です。
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その本の概要を説明しますと、すべての人のそれぞれの人生に意味があるとのフランクルの信念のもと、それぞれの人が「意味への意志」を強く持ち追及して意味経験、すなわち各種の充実した価値を経験することが可能という考えです。
元気な時に創造的な活動すなわち仕事などを通じて「創造価値」を経験することが可能である、ある程度制限された生活になると芸術体験や自然体験や交友体験など「体験価値」を経験することが可能である、強制収容所収容中や寝たきり状態や病気末期状態では「態度価値」で運命を受け入れると言う意味経験が可能である(これがフランクルの考案した精神療法のロゴセラピー〔意味中心療法〕につながっていきます)、と述べてあります。
創造価値や体験価値や態度価値を経験すると、どのような人生の状況であっても充実した人生を送り希望を持つことが可能で、すなわち「それでも人生にイエスと言う」ことができるとフランクルは強調しています。
意味ある態度価値を経験していくと、「私は人生にまだ何を期待できるのか」と言う問いが「人生は私に何を期待しているのか」との問いに180度転換していきます。

世の中には正論があふれています。
テレビのコメンテーターは一見良いことを言いますが、どれだけ苦しんでいる方々の心に響いているでしょうか?
私は常々「何を」言うかではなくて「誰が」言うかだと考えています。
フランクルは強制収容所経験でまさしく「ガス室虐殺」の危機に直面しながら希望を失わずに周りの人々を励ましながら生き抜きました。
そのようなフランクルだからこそ、どんな大変な状況にある現代の私たちにも心に響く言葉を投げかけてくれるのだと思います。

追伸:強制収容所経験の「夜と霧」は大変重苦しいつらい本ですが、よく読めばフランクルの冷静な目とやさしさを感じることができます。
まずは前半として「夜と霧」を読み、後半として「それでも人生にイエスと言う」を読むと、フランクルの人間性や思想がよく理解できると思います。
posted by MCL at 10:21| Comment(0) | 院長日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月09日

向原クリニック10周年記念行事の裏話

向原クリニックは令和2年9月で開院10周年を迎えました。
患者様を始め、訪問看護師の皆様、ケアマネージャーその他介護事業所関係者の皆様、連携病院の地域連携室を中心とした皆様、その他向原クリニックと連携して頂いた皆様に向原クリニック院長として厚く御礼申し上げます。

元々クリニック10周年記念行事として東京オリンピック観戦ツアーに行く予定でした。
昨年にチケットが当たりホテルも何とか取れて、今年を迎えました。
それからコロナ禍での緊急事態宣言が発令され東京オリンピックが延期になったのは皆様ご存じのとおりです。
折角のオリンピック観戦ツアーなのでオリンピックの延期とともに観戦ツアーも来年へ延期すればよかったのですが、向原クリニックの雰囲気も閉塞感が強くなり様々な意見の相違が噴出した時期なので、院長として10周年記念行事はコロナ禍でもあり全面的に中止すると5月に宣言しました。

 6月に一部のスタッフが私のもとに来て
スタッフ)「院長、やっぱり、10周年記念行事をやりたいんですけど」
私)「う〜ん、気持ちはありがたいけど、今の世の中やクリニックの雰囲気じゃあなぁ、有志でやる?」
スタッフ)「やるんだったらささやかでもいいので、スタッフ全員参加でやりたいんです。企画書持ってきたので見てください」
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私)「う〜ん、わかった。任せる、よろしく!」
という訳で一部のスタッフを中心に全員参加型の10周年記念行事の企画が始まりました。
企画検討が始まると院長の心配をよそにスタッフ全員からいろいろとアイデアが出て、全員で役割を分担して一致団結していきました。
(このブログも全員参加10周年記念行事で私に課せられたミッションです。)

<ある日>
スタッフ)「パンフレットに院長の顔写真載せますか?」
私)「う〜ん、それは恥ずかしいからやめてくれ〜」
スタッフ)「じゃぁ、全員の集合写真にします」
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<またある日>
スタッフ)「Tシャツ作って2ヶ月限定で患者さん宅をそれで訪問するのはどうですか?」
私)「えっっ、う〜ん、どうぞ」
スタッフ)「院長のイラスト載せていいですか?」
私)「えっっ、う〜ん、どうぞ」
スタッフ)「Tシャツはピンクでいいですか?」
私)「えっっ、う〜ん、どうぞ」
スタッフ)「それで患者さんと写真撮って配っていいですか?」
私)「えっっ、う〜ん、どうぞ」
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写真 2020-09-11 14 23 31.jpg
※私の似顔絵イラストが映るように女性スタッフが前後ろ逆にTシャツを着てくれています
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<またある日>
スタッフ)「院長のプライベートをインタビューしてブログに載せていいですか?」
私)「そんなん、知りたい人いるの?」
スタッフ)「いますよ〜、まっ、10周年ですから〜」
私)「う〜ん、どうぞ」
(結果が前々回のブログです)

という訳で10周年記念行事を行っているクリニックの裏話でした。
10月30日のクリニックでのささやかなパーティー(クリニックスタッフのみ)でフィニッシュです。

向原クリニックのスタッフの皆さん、お疲れ様でした!
院長がトップダウンで仕切る10周年記念行事より、みんなで考えみんなで協力してみんなで楽しんだ良い10周年記念行事ができました、ありがとう。
私は地域の皆様から「今の向原クリニックはどんなクリニックですか?」と聞かれたら、自信をもって「少しおとなしくなったけど明るくなったクリニックです」とお答えすることができます。
これからも地域の皆様に支えられながら地域に貢献できるクリニックを目指していきますので、向原クリニックを何卒よろしくお願いいたします。
向原クリニック 院長 向原進一

posted by MCL at 15:27| Comment(0) | 院長日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月16日

危機一髪!?の青森旅行

9月9日の月曜日の朝礼に真っ黒、と言うよりは真っ赤に日焼けしてかなり疲れた私を見て、向原クリニックのスタッフが院長に何が起こったと不思議そうでした。
どこで何をしたと尋ねるスタッフに「内緒」とごまかし始めた私ですが、患者さん宅でも日焼け姿に連日質問され数日後にクリニックスタッフ看護師全員に囲まれ(少し大げさですが)白状しました。

青森の三沢基地の航空自衛隊・米軍空軍の航空祭の一泊二日の旅行ツアーに行っていたのでした。
スタッフに内緒にしていたのは、夏休みに北海道旅行に行っており遊び歩いていることへの照れと、敢えて言う必要もない宅直でない週末土日の二日間のプライベート旅行だからでした。

ただかなり疲れていた月曜日の朝の姿は理由があるので聞いてください。
もともと伊丹空港⇔青森空港での一泊二日で航空際は日曜日の観覧ツアーでした。
旅行出発の数日前に旅行会社から電話があり、帰りの飛行機のチケットが手違いで取れなくなり帰りは新幹線になったとの連絡でした。
飛行機なら1時間半の道のりが新幹線なら東北新幹線・東海道新幹線で6時間ぐらいかかります。
旅行会社も申し訳ないと考え、元々付いていない帰りの夕食の弁当を付けてくれました。

出発日は青森を自由散策して、翌日も良い天気で5時間ほどの航空祭を存分に楽しみました。
日に焼けた理由は広い航空自衛隊基地でほぼ日陰がない状態で5時間ほど太陽光に当たり続けた結果でした。
問題が起きたのは日曜日の14時ごろの帰宅の八戸駅に向かうツアーバスの中でした。
台風15号が近づいていたのですが深夜から朝にかけて関東に近づくため問題ないと考えていた私たちツアー一行(添乗員ありの25名程度)でしたが、バス乗車中に私たちが乗るはずの東海道新幹線の運休が決定したのを知ったのでした。
焦った添乗員さんが会社スタッフと連絡を取り合い、私たちに告げたのは埼玉の大宮駅で降りて上越新幹線にのり金沢まで行きサンダーバードの特急で大阪まで行くプランでした。
大阪に午前0時頃到着になるが神戸方面の新快速はまだあるとのこと。
ツアー一同に動揺が走りましたが、何とかその日に帰ることができそうだと安堵の雰囲気が広がりました。
安心もつかの間、八戸駅に向かうバスが大きな渋滞に巻き込まれて新幹線の時間に間に合うかどうかになり、途中高速道路に乗ってバスはETCのトラブルで足止めにも会い、とうとう予定の新幹線に乗り遅れました。
添乗員さんが次の新幹線の自由席に乗りましょうと話を進めましたが、次の東京行きの新幹線には自由席がないことがわかり(全席指定席!)、どちらにしろ最終の金沢発のサンダーバードにも間に合わないことがわかり、この瞬間がこのツアー一同のどん底の絶望的な雰囲気でした。
「次の新幹線の連結部のデッキに分かれて乗ってとりあえず仙台まで行ってください。
その間に会社と連絡を取って作戦を練ります。」と添乗員さんが話して、私と家族も新幹線のデッキの立ち乗りになりました(旅行会社のツアーで新幹線連結部のデッキの立ち乗車なんてなかなかないでしょうね!)。
(25名もいるので)分散してデッキに乗車しているツアー客に添乗員さんが作戦を伝えに動き回っていました。
作戦は「次の仙台で新幹線を乗り換えると自由席があるので、それで東京に行きそこで一泊して、明日神戸に戻ります。
どうしても本日帰宅されたい方は仙台空港から伊丹空港の飛行機の最終便の空席がありますので、申し訳ありませんが自費になりますが手配します。」
私は月曜日の訪問診療が朝からありますので、自費追加でも帰宅したいため家族の中で私一人は仙台空港発の飛行機を選択しました。
妻と子供たちは東京一泊を選び学校を休むことになりますが、逆にもう一泊出来て学校を休むことができて嬉しそうでした(ホテル代は旅行会社持ち)。
仙台から飛行機で帰るのは結果的にツアー客中5人で、添乗員さんは東京行きに付き添うため仙台空港まで(一組の夫婦を除いてほぼ初対面の)ツアー客5人で行動しました。
そして空港に着いた時には飛行機の出発時間まで30分を切っていたのです。
全日空の搭乗手続きのカウンターに着いたときに絶望的な気分になりました。
チェックインのカウンターが長い行列だったのです。
ここで私が動きました!
行列を飛び越しカウンターの女性を捕まえ、乗り遅れそうなことを伝えたのです。
この瞬間さらに絶望的な気分を味わいました。
その女性は冷たい顔で「事情は分かりますが行列に並んでください」と言い放ったのです。
どう考えても行列に並ぶと最終便に乗り遅れるため、二人目のANAスタッフを捕まえ「私はわかりません」と言われ、三人目に捕まえたスタッフが「わかりました」と優先的に搭乗手続きをしてくれたのです。

なんとか搭乗手続きを済ませた5人は手荷物検査を終えて搭乗口に向かうと、搭乗予定の飛行機はほぼ乗客の搭乗を終えるころでした。
そして何とか最終便に乗り込み、神戸へ深夜に私一人帰ってくることができました。
(翌日家族は新幹線で夕方に帰ってきましたが、台風の影響で東京駅はみどりの窓口含めて大混雑で私の家族も大変だったようです。)

上記が私が月曜日の朝にひどく疲れた顔をしていた理由です。
こっそり行こうとしたことが良くなかったのでしょうか?
忘れられない旅行になりました〜(笑)

追伸:ブルーインパルスの飛行はまさに神業でした。
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ブルーインパルスが作ったハートマークを射抜いた飛行機雲です。
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青森の三沢基地は航空自衛隊とアメリカ空軍が共同利用する数少ない国内基地です。
アメリカ戦闘機と飛行士はまさに映画トップガンのようでした。
posted by MCL at 20:28| Comment(0) | 院長日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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